粘土採掘

東方の薬師”黒川神社”の粘土調査記録

歴史・由来

奈良時代の多賀城鎮守府将軍・大野東人の臣の流れを組み9世紀に制作された薬師像が祀られたとされる、宮城県内きっての歴史と由緒のある薬師堂です。戦国時代には当地の領主であった、黒川晴氏により「当方の薬師」と称されました。明治時代の神仏分離令により、薬師堂は「黒川神社」となりました。 (黒川神社:宮城県黒川郡大和町鶴巣北目大崎日光山15) この界隈「別所」集落出身の有識者によると、古代・東山道を多賀城から北上し色麻柵方面に通じるルートにあり、古くから「お薬師様」と呼ばれ親しまれていたそうです。界隈はかつて門前町として栄えていたとのことです。

地理的環境

吉田川の支流である西川が近くを流れ、そのまた支流となる”黒川”が神社のすぐ南側に流れています。南に数百m程には、7~8世紀の窯跡とされる三角田南窯跡があり、その東側には、宮城県指定遺跡である鳥屋八幡1号古墳および2号古墳、また、鳥屋八幡窯跡があり、当時の須恵器が多く出土されております。(昭和43年頃の東北大学と東北学院大学の学術調査による) これら近隣の史実から、辺り一帯には陶磁器生産に適した粘土層が堆積されていると考えられます。

粘土採取

黒川神社の神主殿のご厚意により境内の一部で粘土を調査採取させて頂きましたところ、鉄分が多く粘性の高い陶土が採取できました。まずは敢えて精製せず原土のまま成形し試作品を焼き上げてみました。野性味のあるとても面白い土です。

陶土精製

採出した原土には、石、砂、シルト、有機物などが大量に混じっておりますので、実用品を作るためには精製せねばなりません。まずは定石通りに水漉を行います。 ここで問題になるのが粘土(約0.075mm以下の粒子)の抽出です。市販の篩では最細で150目(約120メッシュ≒0.20mm)ですが、これでは、石は取り除けても砂などは通ってしまうため、採出の分量状態によっては砂気が多く成形や使用が難しいものとなります。水漉による自然沈殿を待ち上部を掬う方法を試みましたが、沈殿だけで数日を要し感覚に頼る法でもあるようです。 そこで今回は古墳時代の土師器による煮炊きに倣って、蒸留抽出法を考案しました。原始的ではありますが、精度の高い粘土が抽出できました。こうして出来上がったきめ細かな粘土に、小石や砂を少量加えて野趣を表現します。 今後、幾つかの器として、焼き上げる予定です。

追記 湯呑や茶碗が焼き上がりました。

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